もうだれも愛せないバイヤー




最近、ちょっとありえない話が多すぎる。いうなれば、パンタグラフの点検の後に、4本のボルト全てを閉め忘れた……そんな話ばかりだ。


先日、とあるセミナーでお話をさせていただいた折には、日本の製造業が危ない一つの例として、パンタグラフの件を取り上げた。そうかもしれない、でもそうあってほしくないとの願望をこめての紹介だったが、最近ほんとうにヤバイかも、と思うに至っている。


ちょっと状況は深刻だ。真偽の程は確認できていない(というか、どうやって確認するのかわからない)が、簡単にいえば、性能や、要求仕様を満足できない状態でも、サプライヤーが納入をしてしまう状況が恒常化しているとの話。ちょっとにわかには信じられない。出荷検査はどうなっているのか。受け入れ検査は???


私は、バイヤーとサプライヤーって、最終的には愛で結ばれないとほんとうの意味での信頼関係といえないのではないかと考えている。お互いを思い遣る気持ち……そういうものがないと、楽もしたくなるし、確認もおろそかになってしまう。愛があってもすれ違いや、誤解を招く事だってある。意図せずおこなったことが、大きな問題へ発展することもある。だからこそ、バイヤーはサプライヤーに愛をもって接する必要があると思う。愛しているが故に厳しくすることもある。そんな関係が理想なのだ。


「最終的には人間系の問題なので……」


そうやって言葉を濁す。普通に考えればほんとうに忌々しき事態である。これからどう改善していくかでない。バイヤーとサプライヤーの愛は、私の勤務する会社のケースでは、製品という子をもうけている。一旦、生まれてしまった子だが、育てる過程でいろいろな問題があった場合、親は責任を問われる。すっかりお客様の元へ旅立ってしまった子をどのように正しい状態とするのか。膨大なコストをどのように負担するのか。


「誰かがやってくれる」


これをみんなが思い、やるべき事をやらかった結果が今の忌々しき事態を招いている。


「牧野さんにも、事後処理のお手伝いをお願いするかもしれません」


そりゃ、こんなありえない状況で仕事をするのも本意ではないからやりますよ、もちろん!でも、ゴールは遠いなぁ〜と今、途方に暮れている。ただ、今が最低だから、後は上がるだけ、と思えばいいんだけどね。